開かれた活動へ
その年の暮れ、多くの地元の方に協力を頂いて注連縄を作ることかできた。その頃から、明神鼻での取り組みが土地に根ざし息の長い活動になるには、より開かれたものへと一歩踏み出す必要があると感じる様になった。2回目となる茶会では、より多くの方に足を運んでもらい注連縄越しの大槌島を楽しんでもらうことで、この場所の魅力と私たちの活動を知ってもらう機会にしたい。
打ち合わせ
今回、茶会の亭主を依頼したのは、小屋の持ち主のYさんに紹介して頂いた従兄弟のTさんだ。打ち合わせでお邪魔した仕事場の二階には、茶道具が所狭しと並んでいる。挨拶の後、小屋について尋ねると、「道場」のメンバーとは十歳余り年齢が離れているということもあってか、「呼んでもらえなかったんだけどね…」と何度も漏らす。その姿は、年上の大人達の密やかな愉しみに混ぜてもらえない少年のようで、どこか微笑ましい。茶席の経験が豊富とあって、段取りはスムースに運ぶ。昨年と大きく違うのは、参加する客の数だ(一席15名×4席)。それにあわせて靴脱ぎ用のスペースや茶券も用意することになった。
茶券は茶席ごとに色分けしたものを用意し、靴脱ぎのスペースは玄関の手前にあったコンクリートを覆う様に作った。参加の呼びかけは、個人的な招待の外に、簡単なチラシを作って日頃利用させていただいているロッジ(御崎シーサイドの洋食屋さん)や理容店、日比市民センターなどに貼ってもらった。また、これまで敢えて用いなかったSNSを通じても広報することにした。
当日の午前、明神鼻の入り口に手書きの看板を立て、待ち合いとなるお菊明神の側には、一畳台と野点傘を用意した。緋色の野点傘を広げ一畳台に緋毛氈を敷くと、いつもは静かな明神鼻が一気に華やぐ。
最初のお客さんが「岬の下からも赤い野点傘が見えたよ」と教えてくれる。その様子を写真に収めに行く暇もないほど、次々とお客さんが来場する。なかには、当日通りすがりに看板を見て来られた方もいる。こちらの想定を超える来客に狭い明神鼻は人で溢れかえっていた。
「日比にこんないい場所があるとは知らなかった」
受付に居たメンバーが、お客さんから一番多く聞いた言葉だ。
しかも、日比地区にお住まいの方ほど、驚いている様子だったという。さらに、お菊明神の存在も初めて知ったという方も多く、お菊さんという親孝行な娘さんが祀られていることを知って、改めてお参りし直す……そんな光景も見られたようだ。
亭主が心を込めて一服のお茶を点てると、小屋はたちまち静謐な茶室になる。そのぴんと張りつめた空気を大槌島からの風が和らげる。亭主の用意された禅語は「松無古今色(松に古今の色無し)」。松には古い葉と新しい葉があるが、季節を通じて青々としている。その青さにおいて、年齢に上下の区分はない(*)。
* なお、下の句である「竹に上下の節あり」は、上の句とは対照的に長幼の序を説いたものだ。
* なお、下の句である「竹に上下の節あり」は、上の句とは対照的に長幼の序を説いたものだ。
禅語の松、花入れの竹、そして亭主の生けた梅が揃うことで「松竹梅」の華やかさを演出する。香炉は舟を象ったものだ。「大槌島から舟に乗って来れたらな…」と話す亭主の見立てを聞きながら大槌島に視線を移すと、大小さまざまな船がせわしなく行き交う見慣れた景色が、情感をたたえた光景に思えてくるのが不思議だ。茶人の遊び心は、現実の時間や空間の隔たりを軽々と越えてゆく。昨年、猿田彦が拓いた海の道を渡って、今年は多くの客人がやって来たのかもしれない。
「竹に上下の節あり」
お茶を愉しんだ人達が帰途につく頃、昨年と同様にYさんはMさんと酒を交わしながら旧交を温め、こうして酒を呑みながら互いに意見を出し合うことの大切さを説いてくれる。かつて小屋で繰り広げられた「道場」の活動は、半世紀以上の時を経て、新たに息を吹き込まれたように感じる。
小屋には「道場」のメンバーの名札が掛けられているが、その横に私たちの名札を新たに作ってはどうかと提案して下さる。歴史ある会の一員に加えてもらったようで誇らしい。しめ縄や懸案であったトイレの設営も実現に向けて方向を付けて下さった。
「いま話している言葉は私のものじゃない。ぜんぶ上が喋らせているんだ」とYさん。
今日の茶席に掛けられた「松に古今の色無し」の下の句「竹に上下の節あり」は、「“上”が喋らせている」というYさんの言葉を待って完成したかのようだ。三年目に入った明神鼻での活動も、かつての「道場」の活動に連なる「上下の節」の一つとなることで一本の青竹のように、明神鼻に根を降ろして行ければと思う。