時季的には稲刈りをほぼ終えた頃だったが、玉野市の農林水産課のTさんにお願いして、藁を頂ける農家さんを紹介してもらえることになった。さっそく藁をもらいに出向くと、すでに軽トラックの荷台にいっぱいの藁を段取りして下さっていた。
下ごしらえ
先日訪れた旅館に藁を運び、日比でしめ飾り作りを続けて来られた方に一から指導していただく。まず、刈り取った藁はそのまま使える訳ではなく、茎の周りの葉を取り除いてやる必要がある。最初は軍手をはめてしごいていたが、軽トラ一台分となると日が暮れそうだ。そこで「昔は千歯こきでやってたんだけど」という言葉をヒントに、庭の柵を千歯こき代りに使って一気に仕上げる。刈り取って間もない藁はまだ青いので、旅館の室内に吊るして乾燥させることにした。
“手が舞う”こと
下ごしらえを終え、縄を綯(な)う手ほどきを受ける。
藁を手に時計回りと半時計回りの単純な動きを繰り返すだけで丈夫な縄が編み上がってゆくのは不思議で面白い。終戦後しばらく、Iさんの地元では学校から帰った子どもたちは、翌日に履くための草履を二足分つくってから(登校するだけで一足履きつぶしてしまうため)遊びに行ったそうだ。
……そんな昔話を耳にしながら、縄を綯うリズムに没頭しているうち、ぎこちなかった手の動きも幾分なめらかになってくる。「手が舞い出したなー」。作業を見守っていたSさんが、手元を覗いてそう声をかけてくれる。おそらく幼少時に、同じ言葉を周りの大人たちにかけてもらったことだろう。それにしても、手が藁と一体になって“舞う”とは、なんと豊かな表現だろうか。
縄綯いの作業は、傍からみれば退屈な単純労働と思えるかもしれない。ただ、一本の藁から、草履のような日用品、縄跳びなど遊びの道具、しめ縄に至るまで自分の手で作りだせるということは驚きだ。そして、それらのすべてが “舞い” のなかから生み出される。