2014年12月7日日曜日

■ 地元の方との語らい   2014年12月 


年の瀬の迫るなか、小屋や道場の歴史を知りたいということで会を開く運びとなった。当日は、地元から4名の方が小屋に足を運んでいただき、貴重な話を伺うことができた。


 岬と風のはなし

この日は、朝から強い風が吹き、冬日になると予報されていた。ストーブを焚き、体が温まるようにと豚汁とぜんざいを用意したとはいえ、小屋のなかは寒くなるだろう。実際、現地に着くと、ふだんは穏やかな瀬戸内海にも白波がたち、木々は風に大きく揺られていた。ところが不思議なことに、小屋の周囲だけは風の流れが穏やかで、大きなガラス戸は少しも音を立てていない。

小屋の前で持ち主に会うと挨拶もそこそこに、剪定作業をしながら気になっていたことを尋ねてみた。風を防ぐ樹木がなくなれば、小屋に当たる海風も強くなるのでは、という心配だ。屋根がロープで近くの木に結わえられているのも、そのためだろうか?

すると、「私もこの小屋で経験してはじめて分かったことだけど」と前置きしてから、次のように説明して下さった。
 
「 海から吹く風は、まず岬の崖にぶつかる。その後、風は崖に沿って上へと昇っていく。だからこの小屋は岬の先端に建っていても、風が直接あたることはない。
過去に台風が上陸し集落の家の瓦が飛ばされることがあった。そんな時でも小屋の大きなガラス戸が割れることはなかった。
 結果的にはロープで小屋を結わえる必要はなかったようだ。」


こうして疑問はたちどころに解けた。
ふと見ると、崖の手前で旋回していた鳶が、風を読んで上昇気流に乗る。鳶にとっての岬は、高く飛翔するための跳躍板のようなものだ。
風をまともに受ける「海に屹立した岬」という当初抱いていたイメージは、間違いではないが、人間にとって岬は自然の力を和らげる緩衝帯でもある。
事実、小屋の後ろの風が穏やかな場所は、現在も畑として地元の方に利用されている。





 「向日比青年研修道場」

“隙間風に凍える小屋”という心配も杞憂だった。
ストーブを焚いた小屋の中は、窓を開けなければならないくらいに温かかった。地元の方との話は、小屋や岬という場所の魅力をあらためて確認する内容となった。それは、地元の方の回想と私たちの描いていた構想とが重なり合う、穏やかだが刺激に満ちた時間だった。


小屋が建てられたのは昭和38年のこと。それまでは、小屋の持ち主の家に仲間が集まって酒盛りをしていた。そこで持ち主の父が近所に気兼ねすることなく集える場として、民家から離れたこの岬に小屋を建てたのだそうだ
当時、この辺りは木が生い茂っておらず、小屋からは瀬戸内海と対岸の四国が見晴らせた。酒と語らいの場には、箔をつけるため「向日比青年研修道場」と名付けられた。



20〜40代を中心としたメンバーの活動としては、海水浴場への道の整備、遊泳者の監視や海難救助訓練(今でいうライフセイバー)、地元選挙区から立候補した政治家を招いた対話と幅広く、女木島へのキャンプも楽しみのひとつだった。

当時の「青年」たちが語るのは、こうした活動の基本が仲間と集い酒を呑むなかで自分たちに出来ることを実現したものだったということ。だから、“人のため” と思ったことや、初めから活動の目的を掲げることは無かったという。ただ、こうした取り組みは当時先駆的ではあったが、特に広報しなかったので有名になることはなかったのだそうだ。

控えめに過去を振り返る言葉からは、濃密な時間を共有したことへの矜持を感じた。


 重なるイメージ

そんな話を聞いているとき、何度か不思議な感覚に捕われる瞬間があった。
というのも、私たちが想い描いていた活動のイメージと重なったからだ。

 
一つは、地元の方が話してくれた、大槌島に咲く山桜の美しさであり、小屋でお茶をたてるという未完の計画だ。小屋の持ち主は、大槌島に咲く山桜を毎年楽しみにしていることを、「桜の花びらが小屋に舞い込んでくる」という雅趣に富んだ心象風景として語ってくれた。それは、「大槌島を借景にお茶を楽しめないか」と話していた私たちの想像力が、いっそう鮮やかな色彩を得た瞬間だった。小屋の床板の一部は外せるようになっており、話を伺うまで用途は謎だったが、炉を入れお茶をたてるために開けておいたそうだ。

もう一つの一致は、「始めから目標を掲げない」という活動の姿勢だ。地域に関わる活動は、時として、誰にも分かるような明快な目標を求められる場面がある。しかし、私たちの活動にいま必要なのは、性急な答えよりも〈問い〉を豊かに深める時間だろう。

数十年の時間を隔てた岬の小屋で、図らずして共通の展望を描くことになった要因は何だろうか?

いま、言えることは、時代を経ても変わらない場の力のようなもの、様々なものを結びつける力に触発されているという感覚だ。その魅力は簡単に汲み尽くせそうにないという予感もある。しばらくは、この不思議な感覚に耳を傾け、その力がどこに由来するものか丁寧に見ていきたい。