2016年5月5日木曜日

  第2回 明神鼻の茶会    2016年4月9日


開かれた活動へ
2年前、初めて岬の小屋を前にしたとき、木々に覆われた秘密基地のような雰囲気に強く惹かれた。その後の活動は、かつて「向日比青年研修道場」がそうであったように、親しい仲間と濃密な時間を過ごすという性格のものだった。ちょうど1年前、盛況のうちに終えた茶会の余韻に浸りながら、Yさんは小屋の魅力を「もっと広く知ってもらいたいような、知られたくないような…」と笑った。私たちも気持ちは同じだったように思う。
その年の暮れ、多くの地元の方に協力を頂いて注連縄を作ることかできた。その頃から、明神鼻での取り組みが土地に根ざし息の長い活動になるには、より開かれたものへと一歩踏み出す必要があると感じる様になった。2回目となる茶会では、より多くの方に足を運んでもらい注連縄越しの大槌島を楽しんでもらうことで、この場所の魅力と私たちの活動を知ってもらう機会にしたい。


 打ち合わせ
今回、茶会の亭主を依頼したのは、小屋の持ち主のYさんに紹介して頂いた従兄弟のTさんだ。打ち合わせでお邪魔した仕事場の二階には、茶道具が所狭しと並んでいる。挨拶の後、小屋について尋ねると、「道場」のメンバーとは十歳余り年齢が離れているということもあってか、「呼んでもらえなかったんだけどね…」と何度も漏らす。その姿は、年上の大人達の密やかな愉しみに混ぜてもらえない少年のようで、どこか微笑ましい。茶席の経験が豊富とあって、段取りはスムースに運ぶ。昨年と大きく違うのは、参加する客の数だ(一席15×4席)。それにあわせて靴脱ぎ用のスペースや茶券も用意することになった。


茶券は茶席ごとに色分けしたものを用意し、靴脱ぎのスペースは玄関の手前にあったコンクリートを覆う様に作った。参加の呼びかけは、個人的な招待の外に、簡単なチラシを作って日頃利用させていただいているロッジ(御崎シーサイドの洋食屋さん)や理容店、日比市民センターなどに貼ってもらった。また、これまで敢えて用いなかったSNSを通じても広報することにした。
 
当日の午前、明神鼻の入り口に手書きの看板を立て、待ち合いとなるお菊明神の側には、一畳台と野点傘を用意した。緋色の野点傘を広げ一畳台に緋毛氈を敷くと、いつもは静かな明神鼻が一気に華やぐ。

最初のお客さんが「岬の下からも赤い野点傘が見えたよ」と教えてくれる。その様子を写真に収めに行く暇もないほど、次々とお客さんが来場する。なかには、当日通りすがりに看板を見て来られた方もいる。こちらの想定を超える来客に狭い明神鼻は人で溢れかえっていた。




「日比にこんないい場所があるとは知らなかった」
受付に居たメンバーが、お客さんから一番多く聞いた言葉だ。
しかも、日比地区にお住まいの方ほど、驚いている様子だったという。さらに、お菊明神の存在も初めて知ったという方も多く、お菊さんという親孝行な娘さんが祀られていることを知って、改めてお参りし直す……そんな光景も見られたようだ。









「松に古今の色無し」
亭主が心を込めて一服のお茶を点てると、小屋はたちまち静謐な茶室になる。そのぴんと張りつめた空気を大槌島からの風が和らげる。亭主の用意された禅語は「松無古今色(松に古今の色無し)」。松には古い葉と新しい葉があるが、季節を通じて青々としている。その青さにおいて、年齢に上下の区分はない(*)。

 * なお、下の句である「竹に上下の節あり」は、上の句とは対照的に長幼の序を説いたものだ。

禅語の松、花入れの竹、そして亭主の生けた梅が揃うことで「松竹梅」の華やかさを演出する。香炉は舟を象ったものだ。「大槌島から舟に乗って来れたらな…」と話す亭主の見立てを聞きながら大槌島に視線を移すと、大小さまざまな船がせわしなく行き交う見慣れた景色が、情感をたたえた光景に思えてくるのが不思議だ。茶人の遊び心は、現実の時間や空間の隔たりを軽々と越えてゆく。昨年、猿田彦が拓いた海の道を渡って、今年は多くの客人がやって来たのかもしれない。



 「竹に上下の節あり」  
お茶を愉しんだ人達が帰途につく頃、昨年と同様にYさんはMさんと酒を交わしながら旧交を温め、こうして酒を呑みながら互いに意見を出し合うことの大切さを説いてくれる。かつて小屋で繰り広げられた「道場」の活動は、半世紀以上の時を経て、新たに息を吹き込まれたように感じる。
小屋には「道場」のメンバーの名札が掛けられているが、その横に私たちの名札を新たに作ってはどうかと提案して下さる。歴史ある会の一員に加えてもらったようで誇らしい。しめ縄や懸案であったトイレの設営も実現に向けて方向を付けて下さった。
「いま話している言葉は私のものじゃない。ぜんぶ上が喋らせているんだ」とYさん。
今日の茶席に掛けられた「松に古今の色無し」の下の句「竹に上下の節あり」は、「“上”が喋らせている」というYさんの言葉を待って完成したかのようだ。三年目に入った明神鼻での活動も、かつての「道場」の活動に連なる「上下の節」の一つとなることで一本の青竹のように、明神鼻に根を降ろして行ければと思う。
 

2016年3月29日火曜日


明神鼻の茶会     参加者募集

昨年、好評を頂いた 明神鼻の茶会 を今年も開催する運びとなりました。
大槌島の山桜を愛でながら、 春のひとときをお愉しみください。

写真は昨年の様子谷本美さん

日時 : 日(13:30~15:00 
    一席目13:30~、二席目14:00~、三席目14:30~

場所:明神鼻の小屋(玉野市向日比2丁目17番 明神鼻の丘の上) 

亭主  :  山口宗正(裏千家淡交、玉野市文化協会茶道部)


募集定員 :各席 14
茶券代 300円 
締切り:4/5(火)但し、満席となった場合は締切りとします。

参加希望の方は、ご希望の席、お名前と連絡先を明記の上、
はがき、FAX若しくはEメールにて下記宛先にお申し込みください。
 


FAX:0863−33−8119
Eメール:akisai10@gmail.com
住所:706-0002玉野市築港1-10-10玉野市文化会館(斉藤)


 主催:明神鼻の小屋 実行委員会  共催:玉野みなと芸術フェスタ実行委員会









2016年1月30日土曜日


  雪の大槌島/ 新年会    2016年1月


この冬一番の寒さとなった朝、テレビは昼にも雪が降ると予報していた。ただ、陽の光を受けた小屋は、思った以上に温かい。小屋の持ち主のYさんたちと初めて顔合わせをした一昨年の12月の語らいを思い出す。 

大槌に向かって二礼二拍手一礼した後、緋毛氈を敷いた小屋で、生姜を擦った甘酒とおしる粉で体を温めると、正月気分も盛り上がる。 



 
 

雪の大槌島 
予報通りに正午頃には雪がちらつき、思わずカメラを手に外出る。遥か対岸の香川は雪で白く霞み、その手前の大槌と小槌を夫婦岩のように浮き立たせている。雪が、いつもは平面的な風景に奥行きを与える。小屋に戻ってしばらくすると、今度は大槌島の上で南中した太陽が水面で反射し、その光で小屋が満たされる。冬の移ろいやすい天気に、雑木林からの景色も刻一刻と表情を変える。望むらくは、しめ縄づくりに携わったすべての人たちにも堪能して欲しい光景だ。



からくり眼鏡

“絵の中にいるような…”という言葉が浮かぶが、いま眼にしている風景は少し違う。 

雑木林のあいだから覗く雪の大槌島は、平面とも立体ともつかない、カラクリ眼鏡のなかに広がる異次元の世界といった趣きだ。
普段の生活でこんな体験を味わうことはそうないだろう。ただ振り返ってみれば、明神鼻の小屋では、これまでも息を呑むような風景に遭遇することがあった。切り開いた雑木林に光が射しアゲハ蝶が舞った一昨年の秋、お茶を点てる着物姿の背後に大槌島が見えた明神鼻の茶会…。

         








2015年12月23日水曜日


 大しめ縄を渡す     201512

大しめ縄を渡す前に、雑木林を切り開いた「参道」へ降りるためのスロープを造る。切り株を掘り起こしていると、土中に 埋もれていた大量の酒ビンが次々に出てくる。おそらく、「向日比青年研修道場」の面々が興じた酒宴の跡だろう。厄介なゴミには違いないが、明神鼻の小屋の歴史の一部と考えれば、無碍に捨ててしまうのも惜しい。ということで、スロープ脇の縁石代わりに埋めておくことにした。

しめ縄を渡す
しめ縄は乾燥して軽くなっていたので木の間に吊るす作業はさほど骨の折れるものではなかった。
まず、しめ縄の端に結わえたロープを持って木に登り、ロープを太めの枝に掛ける。そのロープを木の下から引っ張って滑車の要領でしめ縄を吊り上げる。
 御幣稲穂これは日比で縄綯いの手ほどをしてくれたIさんが育てたものを頂いた)を取り付ければ、手作り感のあるしめ縄にも有り難みも増したような気がする



しめ縄の力
こうして大しめ縄が完成した。着想からわずか一月でこれほど大きなものが形になったという感慨にしばし耽る。ただ、大きさの割にどこか呆気ないほど “するすると” 出来上がった、というのが率直な感想だ。多くの人の知恵と手を借りることが出来たということが理由としては大きいが、それだけではないように思う。



しめ縄の存在感はどこから来るのだろう?
大きさや造形としての力強さもあるが、しめ縄を構成している一本一本の藁に由来するように思う。それは、近年目にする様になったビニール紐で編まれたしめ縄の「作り物っぽさ」を考えれば分かる。
稲藁を編み上げるのは私たち人間だが、そこに凝集されているのは稲を生長させた自然の力そのものだ。人間は、自然の造形に少し手を加えたに過ぎないそう考えると、しめ縄を作るとき感じた腹の底から突き上げる様なえも言われぬテンションも、自然の力を編み上げ凝集させることで目に見えない力の分け前に与ったからではないかと思える。


稲は収穫を終えたら用済みになるわけではない。稲藁は、堆肥となって土を肥やし春に備え、しめ縄となって共同体のリズムを生み出す。年中行事としてのしめ縄は、収穫終え自然の力が弱まったかに見える冬、自然と植物が織りなすサイクルを人の手で再現し、賦活しようとした先祖たちの祈りの形かもしれない。そうした大きなサイクルも含めてしめ縄の表現と考えれば、「稲を育てる」ことをしめ縄作りの始まりとしても良いし、朽ちた大しめ縄が苗床となって小さな葉葉が芽吹く姿を想像するのも愉しい。

しめ縄作りは単純に面白かった。そして、もっと面白くなると予感させるものがある。



 

2015年12月19日土曜日

 しめ縄づくり   2015年12月  


ちどり旅館に藁を干して帰ってから2週間後、しめ縄づくりがいよいよ始まる。人手が必要となる今回の作業には、新たにひびきなだ文化研究会のメンバーも加えた10名あまりが集まった。先日干して帰った藁は結び方があまく床に落ちてしまい、Iさんが一から結わえ直し吊るして下さったとのこと。お世話になりっぱなしで頭が下がる。

 舞いから踊りへ

まずは、縄を綯いやすくするために、乾いた藁に水を含ませ木槌で叩いて柔らかくする。次に、その藁をしめ縄の長さ(8メートルほど)に地面に並べ、紐で縛って三本の太い藁束をつくる。ここから三つ編みの要領で綯ってゆくのだが、誰もが初めての経験とあって一筋縄にはいかない。最初は手探りで、長い縄の前と後ろの作業にうまく連携がとれない。そのうち、「よいしょ、もう一回!」など掛け声を出すことで息が合い、バラバラだった体の動きに一体感が出てくる。しめ縄づくりが誰を司令塔にするでもなく、多くの人が巻き込まれてゆくことの面白さを感じる。藁を綯う手の  “舞い”  から縄が生まれるとすれば、しめ縄は “音頭” や “踊り” のなかから生まれるのだろう。


下ネタの本懐?


10時から作業を始めて、昼には形になった。初めての経験とあって奇麗な仕上がりとはとても言えないが、「荒々しいのが  “ひびき灘”  みたいでいいじゃないか」という声も上がるほど達成感はあった。気持ちは早くも来年のしめ縄づくりへ向いている。
ところで、しめ縄を作る際に飛び交った下ネタは一考に値する。「(縄が)太く堅くなってきたな」とか、「もっと股(藁束の交わる部分)を広げて!」などの盛り上がりは、メンバーの想像力の逞しさによるだけではなく、身体のリズムを介して一体感が生まれたことが大きい。それは、豊穣の願いがエロスと切り離せない祭りの原点を思わせる……といえば言い過ぎだろうか。しめ縄づくりは普段眠っていた何かを触発し突き動かすこと、そうした言葉には表し難い力をもっているようだ。

 明神鼻の大蛇

編みあがったしめ縄を担いで小屋に運び入れる行程は、さながらしめ縄に息を吹き込む儀式のようだった。旅館から明神鼻の登り口までは軽トラで運び、そこから先の階段は3人がかりで担いで登る。この時のしめ縄は、岬の階段をゆっくりと這い上がる大蛇に見えただろう(筆者も担いでいたのであくまで想像ではあるが…)。今年は淡々と運び上げてしまったが、次回はもう少し堪能してみたい。しめ縄の重みをずしりと肩に受け、足元を見ながら海際の小屋に近づいてゆくと、波音が聞こえだす境があることに気付く。岬に砕けた波は雑木林を抜け柔らかい響きとなってあたりを包んでいる。明神鼻の小屋に横たえられたしめ縄は、すっかり大槌島の伝説の大蛇の風格を帯びていた。